言葉は物凄く便利で、物凄く不便でもあるって話

言葉が存在するからこそ、私達はコミュニケーションを図ることが出来る。身振り手振りのボディランゲージで伝わる情報量は限りなく少量で、ごく一部の連絡事項ですらギリギリだ。


ちょっとリモコン取って。


その程度のお願いをするだけでも結構骨が折れる。"阿吽の呼吸"と呼ばれる程の仲になれば梅雨知らず、見知らぬ他人と動作で意思疎通することは困難を極める。


口でお願いしてしまえば、大抵のことは難なくこなすことが出来る。"悪いけどリモコンを取ってもらっても良い?"と言葉を発すれば済む話。


言葉は物凄く便利だ。


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大人になり語彙力が身についてくると、今まで見えなかった表現に出逢う時がある。


息を飲む絶景、下の上でとろける食感、身も心も溶ける恋。今まで表現出来なかったことが、言葉を介して伝播される。モヤモヤとした想いが、具体性を持って誰かに伝わることは、妙にスッキリ気持ちが良い。


“コミュニケーション"という面で見ると、これ以上ないほど便利なのが"言葉"だ。行動を喚起することも、意思疎通することも、自分の想いを表現することも可能。


身振り手振りで"愛してる"なんて伝えられないでしょ。


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とは言え言葉にも限界がある。思考は無限に広がる海のような存在で、それを代弁してもらっているに過ぎないからだ。

理想を語る雄弁家も、ユーモアに富んだ噺家も、心を通わせた親友も。言葉は思考の一部しか表してくれない。


私達は自分の頭の中を存分に活かす為、言葉に磨きを掛けなければならない。じゃなきゃ何を考えてるか分からない新人類に堕ちてしまう。おっぱい、おっぱい、と言って会話出来る人は誰もいない。


言葉は物凄く便利だけど、自分の世界の一部しか表現出来ない。だから物凄く不便でもある。


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他人のことなど分からない。だからこそ人は言葉を頼りに理解したり、信じたり、コミュニケーションを図ろうと奮闘する。


でも、言葉だけで全てを知った気になってはいけない。頭の中は無限の宇宙みたいなものだ。言葉なんて塵のような存在かも知れない。

誰しもが自分の想いを遺憾なくぶつけることが出来る訳ではない。言葉は物凄く便利であるが故に、限られた部分しか表現出来ないジレンマを抱えている。


だからこそ言葉は面白い訳で、いい歳こいた大人が本気で向き合うに相応しい。
言葉は答えじゃなくてヒントにしかなれない。
そう考えると世の中の見方が大きく変わるかも知れませんよね。

エッセイ

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